23回目の12月7日

今日12月7日は、平成5年に39歳で亡くなった主人の祥月命日です。
主人が亡くなってから23年が過ぎました。
あの日のことが、つい昨日のことのように思い出されることもあれば、
あれから、もう随分長い時間が経ってしまったような気がします。
実際に23年というのは、もう長い時間になりますね。

ただ、その日の朝は、スコーンと晴れ上がった青空が広がっていたこと。
その年一番の寒い朝だったこと。
病院の窓から眺めた銀杏並木が鮮やかな黄金色に染まって、青空に映えていた風景は、
今でもはっきりと瞼に焼き付いています。
お天気の記憶というのは、いつまで経っても忘れられないものです。
今日は、あの日に比べると少し雲が多いけれど、
やはり青空の美しい寒い日になりました。

主人が亡くなったのは、朝の6時過ぎでしたが、
家に帰ってきたのは、8時過ぎ。
今日は、その時間に外を歩いてみました。

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青い空
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青空に向かう黄葉したイチョウの葉
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地面に金色の絨毯を作る落葉したイチョウの葉


主人が亡くなった時、
「パパは仏さまの国に単身赴任に行ったんだから、
パパがお留守の間、ママと私で仲良く待っていようね!」
と言ってくれた娘は、当時まだ小学生でした。

その娘は、今は立派なゆうくんのお母さん。
我が家から300歩のところに新しいマンションを買って、
毎日ゆうくんと一緒に遊びに来てくれます。

亡き主人の名前から「優」の一文字をもらったゆうくんは、
元気にすくすくと成長して、
名前の通り、私にとって、優しくて明るい希望をもたらしてくれる存在になりました。


今年は、京都でも家の近所でも、
美しいイチョウの黄葉をゆうくんと一緒にたくさん眺めました。
ゆうくんが、小さなお手々にイチョウの葉っぱを持って遊んでいる姿の、
何と愛おしかったことでしょう。
悲しかったイチョウの思い出を、ゆうくんが素敵な記憶に変えてくれたのだ…
そう思ったら、ホッコリと心が温かくなる想いがしました。


これまでの23年間。
主人はずっと私と娘が不都合無く生きていくことが出来るようにと、
見守り続けてくれていたのだと思います。
私や娘の喜びはともに喜び、
悲しみには寄り添ってくれていたのだと、改めて思います。
一緒に過ごせた時間こそ短かったけれど、
その分、親子の絆は誰にも負けないくらい強い主人と私と娘のような気がします。
いつも、私と娘、そしてゆうくんを大きな空の向こうから見守ってくれている主人には、
本当に心から感謝しています。


お陰さまで、今私はとても幸せだと、胸を張って主人に報告することが出来ます。
きっと、主人も一緒に幸せを感じてくれていることでしょう。
今、私にできることは、少しでも長くゆうくんの成長を見て、
たくさんの思い出を作って主人に報告すること。
そのために、健康に気を付けて日々を大切に過ごしてゆきたいと思います。


ゆうくんパパが、
「今日はお父さんのご命日だから、実家に泊まって、ゆっくり過ごして来たら?」
と声を掛けてくれたそうなので、
今日は、娘とゆうくんは我が家にお泊りです。
思いがけないゆうくんパパの言葉に、ちょっとウルッときながら甘えています。

とは言え、本当のことを言うと、
今夜は娘が職場で仲の良かった先輩が退社されるというので、
その送別会に、ちょっとだけ顔を出してきたいという娘を送り出し、
夕方から、ゆうくんのお風呂までの時間、
私とゆうくんのふたりでお留守番をすることになっていたのですけれど…(^^;


帰宅した娘は、
「パパにお土産~!」
と、餡子物が大好物だった主人に、こんなものをお供えしていました。

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もしかしたら、主人はスイーツ男子の走りだったのかも(笑)
そして、ゆうくんの餡子好きは、そんな主人の遺伝子を受け継いだのかも知れませんね。


今夜は、仏壇に主人の好物をお供えして、
私と娘とゆうくんの3人で手を合わせました。
もともと目の細かった主人が、更に嬉しそうに目を細めている姿が、
すぐそこに見えるようです。


出会ってから42年、結婚して35年、一緒に過ごせなくなって23年間、
いつも、ずっと有難う。
これからも、私や娘一家のこと、見守り続けていて下さいね。
私は、心の中で主人にそう語りかけた2016年の12月7日でした。



ルール違反ではありますが、10年も前のものですから、もう時効でしょう(笑)
私の備忘録のために、
娘がmixiに書いた、2006年と2007年の日記を転記しておきます。






2007年12月9日


私は空を見るのが好きです。

朝、会社に行く途中、帰り道、必ず空を見上げます。

会社の人には「イタイ子だよ、それw」
と言われましたが、それでもやっぱり、私は空が好きです。


去年は覚えていないということを書いたので、
今年は覚えていることを書きたいと思います。
父のことです。


14年前の12月7日の空は、抜けるような青空でした。

その日のことを私はほとんど覚えていません。
6時少し前、突然目が覚めて。

それが父からの合図だったと今も信じています。

「行って来るよ」

という、この世で最後のメッセージ…。


すぐに病院に駆けつけると、泊まっていた母に会いました。
既に父は亡くなっていました。
でも私は解っていました。
だから悲しくなかった。

ちゃんと父は知らせてくれたから。

父は明るい人でした。
誰とでも仲良く出来る人でした。

未だに覚えているのが、看護師さんたちにモテていたこと(笑)
最初に入院していた東海大は、美人の看護師さんたちがたくさんいました。
そんな彼女たちに、とても好かれていました。

確か転院する時に手紙なんかも貰っていたような…


実はそんな父が自慢でした。
父親が女性たちに人気、というのは母としては微妙だったのかな?
でも私は、誰にでも優しくて面白い父が大好きでした。
綺麗な看護師さんたちに囲まれている父を見るのが嬉しかったものです。

反面、私には時々厳しい父でした。
テストの出来が悪くて隠してた私を引っ叩いて、
部屋の隅っこまでぶっ飛んだこともありました。
その時の父の顔、今でもすっごく覚えています。

優しい時の父よりも、そういう時の表情の方が覚えているものですね。

きっと生きていたら、彼氏が欲しいなんて思わなかったかも。
父がいればそれで良かったかも知れない。

考えてみれば、幻影を追いかけているだけなのかも知れませんが…

父に似た人を求めているような気がします。
明るくて、楽しくて、面白くて、誰にでも優しくて。
雑学をよく知っていて、私を笑わせる天才みたいな人。
私を笑顔にさせる魔法、父は誰よりも上手に使えていたんじゃないかな。

そんな人と一緒にいたいな。
きっと空の上で、父が選別してくれてるんじゃないかな(笑)


あの日、病院から雲ひとつない青空を見ていた私は、
「学校に行きたい」と言いました。

それくらい、父が亡くなったことは私の中では自然なことでした。
自然、というと言葉が悪いようですが…
なんというか、自分の中で納得が出来ていたというか。
これから母と二人で生きていかなくてはいけないということが、
私の中で既に決意としてあったような。

父と別れがたい、という感じではなく、
ただいる場所が離れただけ、という感覚だったのかな。
手紙を送ったら返って来るような距離、みたいな。

家に帰って、横たわってる父を見て、悲しかったのは、
冷たかったこと。
寝てるみたいなのに、身体が冷たくて、
それだけが悲しかった。

だから今でも、父が亡くなったような気がしないことがあります。
でも私の日常は母との二人。
幸せだから何も不自由に感じたことはありません。

母は片親だということを気にしていました。
でも私は片親だなんて思ったことはないです。
だって父はそこにいるんだから。

不満があったとすれば、
私のためにお金を貯めて、好きなことが何も出来なくなった母の姿。
社会人になって嬉しかったのは、
「これからは自分のためにお金を使うから!」
と母が言ってくれたこと。

やっと解放出来た。

それが一番嬉しかった。


最近になって、父に語りかけることが増えました。
「どう思う?」って。
正直、答えは分かりません。
でも、そうやって父に話すことで、解決策が見つかる気がするのです。
必ず父が正解に導いてくれる気がするのです。

だから私はとりあえず、自分の思うように生きてみようと思います。
もし間違っていたら、父が方向修正してくれるはず。
父の見えない支えがあるから、自分らしくいることに自信が持てています。

それゆえに、「自分が好き!」と言い切れたりします。

あの日の青空、私は一生忘れません。
毎年12月7日の朝、私は空を見上げます。
決まって8時頃に。
「学校に行きたい」と行った時刻に。

今年は「会社に行ってきます」と父に言いました。
あの日学校には行けなかったけれど、
今私はさらさらと流れる日常の中で、当たり前の一日を送り、
当たり前のように家に帰ります。
14年前には考えられなかった「幸せ」です。

そんな当たり前の「幸せ」をくれた母に、やっぱり感謝。
普段父の話はあまりお互いしないけれど、
きっとお互いに想い合っていることでしょう。

あぁ、母が羨ましいなぁ。
あんな素敵な父に出会えた母は良いなぁ。

今日は12月9日。
昨日も今日も一昨日も、朝、良いお天気でしたね。



2006年12月7日


12月7日は父の命日でした。
今から13年前のこの日、父はお空の彼方へ出張に出かけました。
今では父と一緒に過ごした時間よりも、過ごしていない時間の方が長くなりました。
覚えていることも年々減ってきました。
顔も、声も、姿も、今ではあまり思い出せません。

けれど、父と過ごした時間は確かに私の中にあって、
今も私の基本を形作っているのだと思います。

もし今父がいてくれたら、きっと一緒にお出掛けしたりして…
楽しかっただろうなぁなんて考えることもよくあります。
これでも父がいた頃は結構パパっ子だったのです。

でも今は母と二人の生活。
これが私の当たり前の日常で、何不自由ない幸せな生活でもあります。
父がいなくても私に幸せを与えてくれ続けている母に感謝しつつ、
これからも父が羨ましがるくらい楽しい日々を過ごしていきたいと思います☆




〈今日のゆうくん〉

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おかーたん、おはようございます
今日は、ボク、ドレミパークのレッスンに行ってきました~♪
今日もいっぱい動き回ったり、楽器をいじったり、お歌を歌ったり楽しくレッスンしてきたですよ~(/・ω・)/

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ボク、今日はまた鼻水が出るようになっちゃいました(´・ω・`)
でも、お熱もないし食欲もあるので、きっと大丈夫です(;・∀・)

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でも、念のためって、ドレミパークから帰って来て、お家の中で絵本を読んだりして、静かに?過ごしました(∀`*ゞ)
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今日のおやつは、ドレミパークに行った帰りに買ってもらった焼きたてのコーンブレッド
ウマウマでした~( ^)o(^ )

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今日は、ママが送別会っていうのにお出かけしたので、
夕方からお風呂の時間までボク、おかーたんとふたりでお留守番しました(*^^*)
ご飯もおかーたんに食べさせてもらったし、その後も一緒にテレビを見たりたくさん遊んでもらったりしたですよ~(∩´∀`)∩
そして、今夜は久し振りにおかーたんのお家にお泊りです(˘ω˘)

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おかーたん、今日も色々ありがとうございましたm(_ _"m)
今日は、おかーたんにとってとっても大事な日だったのですね(*´ω`)
ボクもおとーたんに会ってみたかったな!一緒に餡子食べてお話ししたかったな!
でも、おとーたんはお空の向こうでいつもおかーたんやママやボクのこと見ていてくれるんですよね?!
これからも、ボクの元気いっぱいの姿をたくさん見ていて欲しいです(^O^)/
そして、ボクもいつかおとーたんのように、ママやおかーたんを守れる強い男の子になります!!



ゆうくん、せっかく治ったと思ったら、今日はまたお鼻が出るようになっちゃったのね。
昨日の遠足が少し刺激になり過ぎちゃったのかな。
おかーたん、心配ですよ~
栄養のあるもの食べて、たくさん寝んねして、
これ以上ひどくならずに早く良くなるといいね。
今日は、久し振りにおかーたんとふたりで夜のお留守番、
そして、おかーたんのお家にお泊り。
ママに息抜きの時間をプレゼントしてあげられて良かったねぇ~
ゆうくんはとても良い子にしていてくれたので、
おかーたんも、全然困らずに過ごせました!
ただ、ゆうくんから目が離せないので(ゆうくんがすぐにカメラを弄ろうとして来てしまうので)、
いつものようにゆうくん笑顔の写真をたくさん撮れなかったのが少し残念でした。
そして、今日はおとーたんのご命日に、一緒にナムナムしてくれてありがとう!
おとうたんも、きっととっても喜んでくれたと思います。
これからも、ゆうくんの家族とおかーたん、仲良く楽しく過ごそうね!








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